2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 夜明け前 何も映っていないので、夜明け前の雰囲気。 下は高台から見下ろしたところ。 二階堂の呼称がある。 再建されたものでもいい、二階建ての寺院が今に遺されていたら、どんなに素敵だろう。 この前を通るたびに思う。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 紅葉ヶ谷 永安寺跡 瑞泉寺門前の、造園業の工房がある谷戸の奥。 小さな谷戸が住宅で埋め尽くされてしまったかと思いきや、その奥に一段高く整地されて竹林となっている空域がある。 永安寺跡の一部であろう。よく遺されてきた…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 瑞泉寺門前 モミジの美しい谷戸であったという。 紅葉ヶ谷の呼称も美しい。 小さな谷戸がいくつも広がってモミジのように見えることからかな、と考えてもみたが、どうだろう。 瑞泉寺の門前に造園の工房がある。 瑞泉寺を訪れる…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 二階堂の支谷戸の一つに西ヶ谷がある。 谷戸を突き詰めると百八ヤグラ群だ。 ヤグラが数段の雛段を成しているところは壮観だが、お墓群であるため、あまり好まない方もいるようだ。 この近くに住んでいる知人は、百八ヤグラ群の…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 永福寺跡は調査を終えた後に整備され、水際近くまで歩くことができるようになっている。 この永福寺跡の前の道を北に進んでゆくと獅子舞。 獅子舞の坂道を遡ると天園、六国峠であるが、白山道で金沢へ抜けることができ、山道を…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 十二所果樹園の南側の尾根を通る古道は、現在は逗子清寿苑の北側に降りる道程だが、かつては、最後の尾根に沿って明石橋の方へ向かい、大江広元の邸跡の背後にある山襞の裏に降りていた。 金沢街道に出るのではなく、裏手に出る…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 六浦から朝比奈の切り通しを通らず、その南の山中を経て鎌倉に入る古道がある。 今は十二所果樹園の南の端を通るハイキングコースになっているようだが、かつては朝比奈切り通しほどではないものの鎌倉と六浦を結ぶ要路であった…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 大慈寺跡を眺めている。 大慈寺跡の石碑が道端にあるも、大慈寺跡はその一角だけでなく、イエズス会日本殉教者修道院のある高台を含めて、かなり広い範囲であったと思われる。 かなり規模の大きな寺院であったそうだが、今はそ…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 谷戸から尾根へ、畑への入口が判り難いのは毎度の事。 人家のうらの細い道を進むと、確かに古道が上へと続いている。 子細に観察すると、畑以外にも平場が形成されている。 どれほどまでに利用されていたのであろうか。 古道は…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 滑川を挟んで十二所神社の向かい側の山手。 鑪ヶ谷の隣の山。 山際が削がれて屏風のように切り立っている。 小高い丘というべきか。川べりからひな壇状に地形が形成されている。 鑪ヶ谷への入口から、この畑へと続く道が川べり…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 十二所神社は熊野神社の一。 元は光触寺の鎮守で、江戸時代後期の天保九年に現在の場所に移された。 十二所の地域名もこの神社があったことによる。 神社が建てられている土地の掘削工事は、およそ百八十年前。 年代の確かな掘…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 鎌倉霊園には、金沢から鎌倉に至る白山古道も眠っている。 白山古道は、関東学院大学の辺りまでは残されているようだ。 鎌倉寄りの古道は失われてしまった。 白山古道は鎌倉霊園となった泉ヶ谷を経て天園へ、あるいは今はなき尾…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 前回も今回も、藪の写真になってしまったようだ。 だが、竹藪のむこうに何かが遺されている。 朝比奈切り通しの方へ行けるかと思い、数メートルほどの小山に登ってみた。 山の反対側は人家。 人家側も切岸とされている。 見下ろ…
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 鑪ヶ谷は奥が深い。曲がりくねった沢が続いている。 入口辺りにはヤグラがある。 水の流れが山際を掘り込んでいる。 竹林は手入れしないと、こうも藪化するのかと考えさせられる。 細竹が多く、枯れた竹が折り重なっている。 写…