鎌倉八百ヶ谷戸

善財 一 写真集 パノラマカメラで鎌倉の谷戸を巡り歩いています

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

岩瀬のとある尾根筋で

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 山の尾根筋が通路として活用されていたことは何度か述べている。 頻繁に利用する通路は度々改修されて掘り込まれる。 尾根筋の道が窪んでいるのはそのためである場合が多い。 もちろん道の存在を隠す目的もあったろう。 尾根筋…

岩瀬の辺りを歩いている

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 岩瀬の辺りを歩いている 室町時代、岩瀬は上杉家の領地であった。 砂押川沿いには支谷戸があり、山際が綺麗に刈り込まれたように処理されている。 背の高い木を植えないこと。 崩落しやすい鎌倉の土地の利用方法の一つと言えよ…

大長寺 岩瀬

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 亀ヶ谷あるいは巨福呂坂を経て山内に出、武蔵国へと向かう鎌倉街道は、本郷辺りで鼬川を渡る。 鎌倉公方は、この辺りで出陣の際に儀式を行ったそうだ。 現在の山ノ内というと北鎌倉辺りだが、古くは本郷辺りまでの広い範囲を指…

大町

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 鎌倉の谷戸の写真を撮っている。 花の季節は花に目がとらわれてしまって困る。 決して花が嫌いなわけではないので、時には花を入れて撮る。 でも、花が主体ではなく谷戸の様子が分かるように撮る。 谷戸の最奥部が、住人の手で…

落果の梅 高野辺りで

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 この時期、あちこちで梅の実が独特の香りを漂わせている。 落果しているのは残念だが。 写真の左の小道は、高野の切り通しと交わり、六国見山へと通じている。

高野の辺りに遺されている畑

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 甘糟家屋敷の背後に大船高校がある。 長窪の切り通しと高野の切り通しを上がった先が現在の大船高校。 支谷戸が畑のままで遺されている。 一段高いところは住宅で埋まっている。 住宅は六国見山のすぐ近くまで迫っている。 もち…

高野の切り通し

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 鎌倉の切り通しを知らない方に説明しなければならない。 切り通しとは、山を切り崩して道路を造ること。 山越えの苦労を軽減するためだ。 ブルドーザーなどの重機のない鎌倉時代におけるその事業は大変であったと思われる。 と…

長窪の切り通し

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 現在の山ノ内という地名は、建長寺、明月院、円覚寺、浄智寺を包む辺り、ざっと北鎌倉一帯のこと。 だが、古くは現在の大船から横浜市栄区内までのけっこう広い範囲を指していた。 鎌倉時代には北条家の領地で、室町時代には足…

六国見山北側 高野辺りの面白さ

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 長窪の切り通しの上に 良く見ているつもりであっても、旧道があったことに気付かなかった。 長窪の切り通しを経て尾根筋に出たところに、踏み分け程度の小道があるのだ。 やぶ蚊に襲われながら進むと、現在は公園になっている谷…

女坂切り通し

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 女坂切り通しの上り口に戻って

笛田への道であろうか

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 分かれ道を山手の方に進んでゆく。 かつては畑とされてきたようだが、細竹が藪化している。 いや、山全体が竹。 その間を縫うようなこの細道も、かつては笛田などに通じていたのであろう。

女坂の谷戸を上って峠の辺りで

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 峠辺りで道が二手に分かれた辺りに庚申塚がある。 これが旧道であろうか。 ただし、小道は個人宅に続いているようだ。 左手は畑。 右の竹藪の裏は急斜面。 畑を大きく迂回するように細い道が続いている。 これも古道であろう。 …

女坂切り通しを上りかけている

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 山を越えるだけなら、切り通しにしなくてもいいだろう。 なだらかな山道を造り出せばいいのだが、実は鎌倉の地質に問題がある。 鎌倉は頗る脆弱な地質であるため、台風などが直撃すると各所で地崩れが起こる。 土地は崩れやすい…

手広 女坂切り通しを・・・

手広の女坂切り通しは、山の尾根筋を辿るような道程である。 それがために、谷戸坂の切り通しが開削されたのであろう。 切り通しの途中には北向きに見晴らしの良い平場があって墓地とされ、古い年紀の刻された墓石があるという。 この時期に草の茂った切り通…

海蔵寺裏のお庭

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 海蔵寺周辺の地形は、かなり自然の起伏に手が加えられている。 垂直切り立つ切岸もそうだし、十六井のある尾根のやせ細った様子も興味深い。 また、海蔵寺の西側の山際にはたくさんのヤグラがあり、独特の景色を造り出している…

海蔵寺谷 十六井の辺りで

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 海蔵寺周辺は複雑に地形が構造化されている。 小さな谷戸が複雑に入り組んでおり、山際が掘削されて平場が幾段も設けられている。 探索したいのだが、お住まいの方がおられるので、谷戸の入口あたりで様子を眺めることしかでき…

海蔵寺の辺りをうろうろ

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 写真の左側が、覆いかぶさるように迫る切岸。 この切岸がずっと続いており、切岸を背後にして家が建ち並んでいる。 切岸は、時に城壁の機能を為すが、ここではどうなんだろう。 土地をギリギリまで活用するために掘削した、と考…

海蔵寺横の切岸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 確かに観光客が多く、静かな生活を乱されたくはない。 立ち入り禁止の看板があるので、海蔵寺の奥へ踏み込むことは控えている。 夏場であるがために草が茂ってヤグラが隠れた状態だ。 公方邸跡近辺でも述べたように、ヤグラは鎌…

明王院から谷戸を奥へと

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 明王院の横から急坂を上って尾根筋に出ると、瑞泉寺の裏を通る天園ハイキングコースに至る。 ハイキングコースへの入口は分り難い。 隠れ里のような雰囲気がある。

鎌倉公方邸跡辺りを歩いている

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 鎌倉公方の補佐的な立場にあった上杉家の邸が、浄明寺の滑川を渡った宅間ガ谷、その隣の犬懸ガ谷にあったことからも、室町時代の足利氏を中心とした鎌倉の様子が想像されるだろう。 狭い谷戸で、山の上にあるヤグラは、茂った木…

鎌倉公方邸跡の辺りで

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集 鎌倉における足利氏の活動拠点は、浄妙寺から東一帯。 鎌倉幕府が滅びて京に幕府が移り、東国支配の拠点として鎌倉公方邸が置かれたのが、現在の浄明寺の滑川北側。 家が建ち並んで公方邸跡など全く分からないが、山際が切岸と…