永福寺跡は調査を終えた後に整備され、水際近くまで歩くことができるようになっている。
この永福寺跡の前の道を北に進んでゆくと獅子舞。
獅子舞の坂道を遡ると天園、六国峠であるが、白山道で金沢へ抜けることができ、山道を経て鍛冶ヶ谷に至ることも可能な、実は鎌倉と外部を結ぶ要路であったようだ。
だが、かなりの急坂が続く。地質の特性から湧き水が多く、山道は滑りやすい。
峠を越えても山が続いているためであろう、結果的に道幅を広くされることはなかったようだ。
鍛冶ヶ谷方面への古道はゴルフ場のために消えてしまった。
山道に入る手前に、今は市民農園とされている一角がある(一部は電力会社の施設)。
地形は幾段かの平場が雛段状に形成されている。
鎌倉石ではなさそうな古い石垣もあり、庭園があったのではないかと思われるところもある。
写真は、永福寺方面への古道を見下ろしている。
鎌倉を出入りするための要路であれば、その防御のための設備があったはず。
古道より一段高いこの辺りは、鎌倉を守るための武士の邸か、武用の施設か。